2006年 11月 09日
道のり (8)
息子の、ひとつのことをとっても、書くとこんなに長くなるのですね。
子ども達とはそれぞれ、哀しいことやつらいこと、一緒に何とか
乗り越えたことなど、どこのおうちにもある出来事はたくさんありました。
さて、息子のバイクの事件から半年も経ったころ、家庭裁判所から
一通の呼び出し通知が来ました。家裁へは、離婚の親権者のことで
行って以来です。バイクの件は、本人は悪いこと、犯罪だなんて全く
思わず、逆に朽ちていくものを再生して役立てよう、ぐらいに思って
起こった出来事だったので、その後も学校と塾とバイトとを忙しく過ご
していました。私は3人の子の教育にかかる膨大な(私にとっては)
費用を稼ぐことに明け暮れていました。
横道にそれましたが、裁判所では、もの静かな係官の方が、息子に
いろいろ質問されました、その中で印象に残ったのが「君は将来どんな
仕事をしたいの?」「また先になったら変わると思いますが、今は漠然と
図書館司書になれたらいいな、と」「そうか、本が好きなんだね?」「はい、
通学に電車の時間が長いので、たくさん読めます」「どんな作家が好き?」
「太宰や宮沢賢治、芥川をよく読みます。最近その関連でカフカをちょっと
読みました」息子の読書については、この頃、そういう傾向なの?と初めて
母親は知りました。きっと試されたのでしょう。係りの方が「じゃあ、太宰の
○○は読んだ?どう感じた?」など、ひとしきり話したあと、「君の夢が叶う
ことを祈っています。勉強、頑張ってください」と、そして私には「お母さん、
息子さんは全く心配ありません。お母さんの信じていらっしゃるように
きちんとしたお子さんです」と、行って帰してくださいました。今度は、警察
からの帰り道よりもほのぼのとして、「お腹すいたね」とラーメンを食べて
帰りました。
娘もふたりいるので、息子よりももっと心配させられることは度々でしたが、
それについては時間があればまた記すことにします。
長女がアメリカ大好きで、高校生の夏休みにホームステイしたこと、
その後、アメリカで暮らしたこと、日本人がその頃は全くいない、アリゾナに
わたって、住み始めたけれどホームシックになって、それを心配した私は
下の子たちもつれて、しかも学校を休ませて(夏休みは費用が高いし、
たとえ学校を休んでも、この機会に別の国を見せてあげたくて)一緒に
LAから、アリゾナまで珍道中をしたこと、などなど・・・
母子家庭ですから、将来にわたって生活設計を立てなくては不安です。
老後の用意、というほどたくさんは出来ませんが、何とか子どもに負担に
なりたくないと一貫して考えていたので、ライフプランもきちんと整えている
つもりでした。あのまま何ごともなければ・・・
まだ春には少し間があるころのこと。ふたりきりの姉妹でありながら、
性格が違うのでふるさとの京都に帰ってもめったに会わなかった妹が
連絡をしてきました。「お姉ちゃん、ちょっと時間が出来たし、東京、行くわ」
どういう風の吹き回し?と思いつつ、そのころはひとり暮らしをしていた
わが家に一泊して短い時間を共にしました。一緒に食事をしたときに、極端
に小食でした。心配なので京都に帰ったらすぐ病院に行くように言って帰し
ました。
そのまま忙しく日を送っていて、妹のことは忘れていたある日、京都の親友
のご主人が急に亡くなった、と共通の別の親友から涙声で電話があり、急
のことで、せめて妹にお通夜にだけ行ってもらい、明日駆けつけようと連絡
したところ、妹は入院しているといいます。もう、行くしかない、と京都に
行きました。
嘆き悲しみつつも毅然としていた、中学生の時からの親友の家を辞して、
今度は妹が入院している大学病院へ。
ずっと検査入院していて、明日が手術だというので、手術には立ち会う事に
しました。そしてそのとき妹の今の立場が、婚家を出て、ひとりで暮らしてい
ることを知りました。妹夫婦には子どもがいません。でも、またわがままを
言って出てきているのだろう、と思いつつ、そんな妹に毎日病院に来ていた
妹の夫と一緒に、翌日の手術の間じゅう、控えていました。
途中で、看護師さんが急ぎ足で駆けているのを見て、「手術中にあんなふう
に駆け込んでこられたら、びっくりするね。でもうちは大丈夫よね」などと話し
ている矢先、同じことが起こって、担当医に告げられました。「開腹してみた
ら、癌が見つかりました。もう、手の施しようがないほど進行しています。
今から40分ほどあちこち調べますから、お腹を開いている間にこのまま
手術をするか、全く手をつけずにひとまず閉じて、あと1回でも2回でも、
おいしいものを食べさせてあげるか、どちらかを選んでください」・・・
パニックです。どういうこと?何で?癌?検査の結果手術するのは、腸閉塞
だったはずです。
12センチほど切ってつなぐだけの簡単な手術だって・・・そう言われたはず
です。なのに・・・何が何だかわからないままに、心を整理して、それでも先
生に聞きました。「手術で、癌は取れないのですか?」妹は20代のとき胃
潰瘍の手術をして胃が三分の一しかなく、その手術の傷が長年に渡って、
身体の細い妹の、他の臓器や背中にまでくっついていてその上、癌が見つ
かったとのこと。癌は大腸癌だけれど、播種といって小さな癌細胞がいっぱ
い散らばっていて、とても無理だということを説明されました。
何を、どう考えていいのか、その時のことは記憶が飛んでしまっています。
それでも、助かる見込みはもうないのなら、余命が3ヶ月から半年だといわ
れるなら、もうそっと、好きなように残るいのちを過ごさせてあげよう・・・そう
思いました。そして何の手当ても出来ず、元通りに閉じられたのです。
麻酔が覚めた妹の顔を見るのが辛くて、妹の夫に後を頼んで、私は東京に
帰りました。
仕事は、そんなときでもおろそかに出来ません。心の中は嵐ですが、客席
では笑顔で会話する・・・そんな日が何日も過ぎました。
(こんなに書くと 実はとっても疲れます でも頑張る(^^)
昨日 ちょっと昭和記念公園の周りを歩いたので
少しずつの紅葉と共に 今日はこれで・・・
内容が重いので せめて色づいた樹々を
画像を大きくして ご覧ください)
by neko_pen
| 2006-11-09 15:03
| 人生