2006年 11月 13日
道のり (11)
「道のり」 今夜が最終回にさせていただきます
京都の親友たちは、私の生涯の宝だと思っています。子どものころか
ら「右が幸福、左が不幸って書いてあったら、必ず左を選んでしまう」
と友に言わせ、心配をかけた私の人生。妹の看病で、仕事を気にしな
がらも京都から離れられなかった私に、妹もかわいそうだけど、私たち
は生きて残ったあなたの今後がもっと心配、と涙を浮かべて仕事に
戻るよう、妹のことは諦めるよう、気遣ってくれた友。ふるさとの大切な
親友たちと、これからもずっと親交を紡いで行きたいと思っています。
そして、こんなオババになるまで私に仕事の場を与えてくださった
最盛期にはたくさんのチェーン店のあった、お店の代々の店長、
若い子がたくさんいるのにご贔屓くださった大勢のお客さま、更には
夜働きながら勤めた会社の社長の、私への信頼も嬉しかった。
忘れてならないのは離婚はしたけれど、お互いの人生が歩み
寄ることが出来たら再び、と思いながら運命の横道に互いにそれて
しまった、元の夫。彼はそれが可能になったときから下の子の大学
進学が決まるまで、世間の相場より恐らくは遥かに多い養育費を送り
続けてくれました。また、彼の父親(子ども達のおじいちゃん)も、いつも
案じてくれ、配慮をしてくださいました。
連絡も途絶えがちになったある日「子ども達の進学費用などは充分に
あるの?僕は、もう長くないよ。足りなかったら正直に言いなさい」と
電話を下さり、その一年後に、本当に亡くなってしまいました。
その電話のときも、私はほんとは言えるものなら「どの子にもきちんと
教育をつけさせたいのでお願いします」と言えば、して下さる義父でしたが
縁が切れて久しいのに、そんなこと言えません。精一杯やせ我慢の見栄を
はってぜ~んぜん大丈夫です、と言っていた私でした(^^)
だってそうでしょう?普通、離婚した息子の元妻や、孫の心配をして、
ご自分の最期を感じたときに、わざわざそこまでしてくださるなんて・・・
今でも思うのですが、私は何とたくさんの、心ある方々、優しい、とか
温かい、などという表現では足りないくらいの大きな愛に守られてここまで
やってきたのです。感謝してもしきれません・・・
そんな日々の中でも、私は自分が疲れて壊れそうになると
旅に出ることを覚えました。格安ツアーを見つけてさっと海外に
行きました。長女が大きくなって随分助けてくれるようになって
からです。子ども達もさまざまな問題を持ち込んでくれます。親が
仕事で苦労しようと、経済が大変であろうと、子どもは子どもで
そのときそのときを、一生懸命生きていたのですから、悩みもだん
だん深刻になってきます。気持ちがいっぱいいっぱいになると私は旅の
空で、自分の心を休ませました。あの旅の日々があったからこそ、
切り抜けてこられました。そして今となっては、とてもいい思い出と
なっています。歳をとってからでは、格安エコノミーシートでの旅行は
きっと無理だと思って、昔行っておいてよかった!
…というような時を経て、たくさんの皆さまのお陰で、私は子どもを3人
育て上げ、母も妹も自分が喪主になって送り後は残る人生を何とか
かんとか生きて行くことにします・・・
明後日から私を待っている仕事に、これまで受けた、人の温かさ
思いやりをいっぱいこめて明るい毎日を送ります。
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長々と まとまりのない文章で綴った 「道のり」
時間もなくなってきて 一気に話を端折ってしまい
申し訳ございません
書き始めてみると次々と 記憶が甦ってきて きりがありません
とりあえずは 端折りっぱなしで 今夜で最終回と
させていただきます 拙い長話に お付合いありがとうございました
京都の親友たちは、私の生涯の宝だと思っています。子どものころか
ら「右が幸福、左が不幸って書いてあったら、必ず左を選んでしまう」
と友に言わせ、心配をかけた私の人生。妹の看病で、仕事を気にしな
がらも京都から離れられなかった私に、妹もかわいそうだけど、私たち
は生きて残ったあなたの今後がもっと心配、と涙を浮かべて仕事に
戻るよう、妹のことは諦めるよう、気遣ってくれた友。ふるさとの大切な
親友たちと、これからもずっと親交を紡いで行きたいと思っています。
そして、こんなオババになるまで私に仕事の場を与えてくださった
最盛期にはたくさんのチェーン店のあった、お店の代々の店長、
若い子がたくさんいるのにご贔屓くださった大勢のお客さま、更には
夜働きながら勤めた会社の社長の、私への信頼も嬉しかった。
忘れてならないのは離婚はしたけれど、お互いの人生が歩み
寄ることが出来たら再び、と思いながら運命の横道に互いにそれて
しまった、元の夫。彼はそれが可能になったときから下の子の大学
進学が決まるまで、世間の相場より恐らくは遥かに多い養育費を送り
続けてくれました。また、彼の父親(子ども達のおじいちゃん)も、いつも
案じてくれ、配慮をしてくださいました。
連絡も途絶えがちになったある日「子ども達の進学費用などは充分に
あるの?僕は、もう長くないよ。足りなかったら正直に言いなさい」と
電話を下さり、その一年後に、本当に亡くなってしまいました。
その電話のときも、私はほんとは言えるものなら「どの子にもきちんと
教育をつけさせたいのでお願いします」と言えば、して下さる義父でしたが
縁が切れて久しいのに、そんなこと言えません。精一杯やせ我慢の見栄を
はってぜ~んぜん大丈夫です、と言っていた私でした(^^)
だってそうでしょう?普通、離婚した息子の元妻や、孫の心配をして、
ご自分の最期を感じたときに、わざわざそこまでしてくださるなんて・・・
今でも思うのですが、私は何とたくさんの、心ある方々、優しい、とか
温かい、などという表現では足りないくらいの大きな愛に守られてここまで
やってきたのです。感謝してもしきれません・・・
そんな日々の中でも、私は自分が疲れて壊れそうになると
旅に出ることを覚えました。格安ツアーを見つけてさっと海外に
行きました。長女が大きくなって随分助けてくれるようになって
からです。子ども達もさまざまな問題を持ち込んでくれます。親が
仕事で苦労しようと、経済が大変であろうと、子どもは子どもで
そのときそのときを、一生懸命生きていたのですから、悩みもだん
だん深刻になってきます。気持ちがいっぱいいっぱいになると私は旅の
空で、自分の心を休ませました。あの旅の日々があったからこそ、
切り抜けてこられました。そして今となっては、とてもいい思い出と
なっています。歳をとってからでは、格安エコノミーシートでの旅行は
きっと無理だと思って、昔行っておいてよかった!
…というような時を経て、たくさんの皆さまのお陰で、私は子どもを3人
育て上げ、母も妹も自分が喪主になって送り後は残る人生を何とか
かんとか生きて行くことにします・・・
明後日から私を待っている仕事に、これまで受けた、人の温かさ
思いやりをいっぱいこめて明るい毎日を送ります。
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長々と まとまりのない文章で綴った 「道のり」
時間もなくなってきて 一気に話を端折ってしまい
申し訳ございません
書き始めてみると次々と 記憶が甦ってきて きりがありません
とりあえずは 端折りっぱなしで 今夜で最終回と
させていただきます 拙い長話に お付合いありがとうございました
by neko_pen
| 2006-11-13 19:40
| 人生